落ち込んだりもしたけど、私は元気です。
ちなみにどのくらい元気かというと、うーんそうだなあ・・・
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とある休日、窓から差し込む朝の光で目を覚ます僕。
いつの間にか肌寒さは息を潜め、外はうららかな春の日差しが降り注いでいる。
なんとなく気分を変えたくなった僕は、穿き古したジーンズにTシャツ、薄手のジャケットを着こんで、行きつけの美容院まで、春の日差しを浴びながら歩いてゆく。
「ずいぶん雰囲気変えちゃうんですねー」
僕のオーダーを聞いて、馴染みの美容師のお兄さんがちょっと意外そうな顔をする。
「ええ、まあ・・・春ですからね。こういうのもいいんじゃないかなって」
そうして出来上がった金髪モヒカンを振りかざし、なんかトゲトゲのついた革ジャンとプロテクターを身に着けてバイクで街を疾走、ヒャッハー!水だー!と叫んでみたり爺さんから種もみ奪ってみたりともうやりたい放題ですよ奥さん。ええ奥さん。
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とまあ、そのくらい元気です。
でもあんまり元気ハツラツとしてると「離婚したばかりなのに、あいつには人の心がないのか」とか「別れた奥さんが可哀想・・・」とか「
お前は人間と黒妖精のハーフだ!」(出典:
かまくら)とか言われてしまいそうなので、あまり顔に出したり水を略奪したりはしないようにしていますが。
なによりあれですからね。バツイチですからね。
あまりほがらかにしているより、時折フッと陰を見せるくらいの方がバツイチ的にありなんじゃないかと。
これからはそういうイメージ作りみたいなものも勉強していかなければと思います。
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まあそんなことはどうでもよくて、離婚の顛末です。
とりあえず書いておかないとね。
まず、16日。
嫁の新居へ大荷物の移動と、離婚届の提出。
離婚届は意外とあっさり受理されました。
で、18・19・21日でほぼ全ての荷物の移動が完了。
テキパキやれば21日で全部終わったんだろうけど、嫁がダラダラしていたのでこまごました荷物が残っている状態。
まあ残りはまた今度やるか、ということに。
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24日。
同期が僕を励ます会を開いてくれるというので楽しみにしていたのだが、日中嫁からメールが入り、「今晩残りの荷物を運びます」とのこと。
この日は予定があるからダメだと事前に言っておいたはずなのに。
「なんで今日じゃなきゃいけないんだ。土曜にしてくれよ」との問いかけには「あんたと早く切れたいからだよ!分からないの!?」とのこと。
・・・いや、よく分かんねえ。
だったらダラダラしないで21日までに全部済ませばよかったじゃねぇか。
つーか引越しの手伝いとかPCのセットアップとか全部やらせておいてそういうこと言うのか。
そういやお前のアパートの連帯保証人、俺の名義になってんだけどそれとかどうすんの?
いろいろ浮かんだが、言わなかった。
別れた後でも、出来る限り嫁の力になってやりたいと思っていたのだけれど。
今まで通りとはいかなくても、いい関係を作っていければと思っていたのだけれど。
結局、それは僕の未練でしかないのだろう。
嫁は僕のいないところで、たった一人で新しい人生を始めようとしている。
だったら、僕はその決断を尊重しよう。
同期との飲み会をキャンセルして、嫁と二人で全ての荷物を運び終えた。
そしてなんか慰謝料200万寄こせと言われた。
「協議離婚なのに慰謝料ってあるの?」
「払うの?もらうんじゃなくて?」
なんて友人には言われたけれど、嫁の言い値で払うことにした。
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はっきりいって、裁判になればおそらくは僕の方が有利だと思う。
嫁から慰謝料を取るまではいかなくても、ほぼ相殺するくらいは可能だろう。
とはいえ、最後にくだらない揉め事なんか御免だし、何より気持ちよく別れたい。
結婚してからの3年半、家のローンと生活費として、嫁からも毎月7万ずつ(途中から5万になったけど)家に入れてもらっていた。
その分を返すと思えば、そのくらいの額にはなるだろう。
(まあ生活費は多少差っ引いて。嫁は毎日結構な勢いで電気・水道・ガス使ってたし)
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家の鍵を返して貰い、「体に気をつけてな」と言って別れた。
今度はもう、泣かなかった。
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そして26日。
嫁の実家に挨拶に行く。
嫁の実家のお義母さんというのは、まあなんというかアレな人で、嫁が大学入学以降、両手の指で足りるくらいの回数しか帰省してないのも割と納得できるという状態なのだが、今回も嫁は帰らないということなので僕一人で挨拶です。
まあお義母さんの性格もなんとなくは分かってるから、僕もそれなりに覚悟は決めて行ったのだけれど。
いや、甘かった。僕が甘かった。
予想を裏切って、僕に対して直接文句は言わず、代わりにうちの両親の悪口をこれでもかとばかりに聞かせられた。
曰く「人の心が分からない人間」
曰く「うちの娘を金目当てで嫁がせた」
曰く「貧乏人のくせに見栄を張って家なんか買うからこんなことになる」
一時間以上もの間、ブッ続けで聞かされた。
これは本当にキツかった。
自分への悪口ならまだ何とかしようがあるが、予想外の方向からの攻撃には本当に参ってしまった。
どれだけお茶をブッ掛けてやろうと思ったことか。
どれだけ暴れてやろうと思ったことか。
でも、僕は耐えた。耐え抜いた。
お義母さんの言った言葉の一つに、こういうものがあった。
「分からないやつには何を言っても分からない」
その通りだと思った。
それは本当に真理だと思った。
分からないやつには何を言っても分からない。
なら僕はいっさい口を開くまい。
何を言おうがお前らには分かるまい。
全てが終わって嫁の実家を辞した後、憑き物が落ちたような、妙にハイな気分になった。
我慢のし過ぎで頭がおかしくなったのかもしれないと思ったが、楽しいので別にいいやと思った。
たぶん、お義母さんの言葉が、僕の胸にまだ残っていた感傷を、綺麗さっぱり洗い流してくれたのだろう。
ハイな気分のまま、岡村靖幸『青年14歳』を熱唱しながら、東京へと車を走らせた。
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そして後日談。
間があいて本日、30日。
僕と嫁は地元が一緒で、嫁の実家から車で五分ほどの場所に、うちの母の実家がある。
今日、そこの家に、嫁の実家のおばあちゃんが来たそうだ。
「住所を聞いても教えてくれない。知らないか」
「戸籍がまだ戻ってないようだけど、遅れているのだろうか」
そんなこと、うちの実家の叔母さんは知らないっつーの。
おばあちゃんは孫が心配だと言って泣いていたという。
しかし、僕が挨拶に行った時、おばあちゃんも一緒になってうちの両親を罵った。
だから僕はいっさい同情なんかしないし、そういう自分に対して嫌悪感を覚えることも無い。
本当に挨拶に行って良かったと思う。
そうそう、挨拶に行った時に「今後いっさいうちの娘には関わるな」ってお義母さん・おばあちゃんに言われたのよ。
まあ分かるような言葉なんだけど、この言葉にもちょいと裏があって、つまり僕が嫁から手を引いてしまえば、東京で補給線を失った嫁は困って実家に泣きついてくるだろう、という浅薄な狙いが見え見えなんだよね。
まあそれでも、嫁が実家に帰ることはまずないだろうし、嫁は離婚の際に「旧姓で戸籍を新規作成する」という離れ業をやってのけたので、実家の戸籍に名前が戻ることも絶対にない。
んでまあ、「うちの娘には関わるな」とか言っちゃったし、うちの親に対する悪口雑言が僕から伝わってるだろうってこともあって、直接うちには聞いてこれないんだろうさ。
田舎でくだらないプライドばかり肥大させた、本当につまらない人間。
嫁が実家に帰りたくない気持ちが、ここにきてようやく理解できた気がする。
しかしまあ、なんつーか、俺の知ったことじゃねぇや。
こっちから親切に嫁の連絡先を教えてやったりはしないし、たとえ聞かれてもやっぱり教えない。
なぜなら、うちの家族はみんな揃って人の心が分からない人達だからなのです。
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というわけで、僕は元気です。
さて、新しい恋でも探そうかな・・・